「薄皮饅頭 柏屋」五代目社長の終わらない挑戦

攻め続ける老舗の裏側に迫るロングインタビュー

2017.09.28

インタビュー

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薄い皮にたっぷりのあんこ。「日本三大饅頭」のひとつであり福島の代表的銘菓「薄皮饅頭」を柱に革新的な新商品を次々と打ち出す柏屋五代目社長・本名善兵衛(ほんな・ぜんべえ)氏。温和な人柄とは対照的な攻めの経営で常に業界のトップランナーとして走り続ける本名氏に、ヒット商品が生まれた背景、大成功したPRイベントの裏話、他社とのコラボレーションなどについて伺いました。(聞き手:メディアロケット編集長 熊坂仁美)
柏屋ホームページ
 https://www.usukawa.co.jp/

ルーツは戦国武将

熊坂:本名社長は柏屋五代目ということですが、本名家としては何代目でしょうか。

本名善兵衛氏(以下、本名):私で本名家は20代目になります。柏屋は1852年(嘉永5年)の創業から数えて166年になりました。

嘉永5年(1852年)創業の柏屋代5目本名善兵衛(本名幹司)。 1955年2月14日生まれ。1986年10月社長就任。柏屋代々の当主として「善兵衛」を襲名(改名)する。商品の見直しや新商品の開発を積極的に行い、「柏やき」「檸檬」などの大ヒット商品を生む。地元に長年親しまれている企業風土を守りながら、次々と新しいアイデアを実行。東日本大震災後には地元の農産品を世界に発信し消費者をつなぐ「食大学」と連携し、福島の「食」への関心を高めてきた。2016年から「日本三大まんじゅうサミット」を開催、その取り組みが「2017年日本ギフト大賞 話題賞」を受賞。2017年三重県で行われた「お伊勢さん菓子博」では県内一丸となった出店イベントを牽引、全国から注目を集めている。

熊坂:本名家の発祥はどちらなのですか。

本名:いまの南会津のあたりです。先祖は源頼朝の時代に金山谷本名の城砦を守っていたそうです。会津の金山町にあるJR只見線本名駅の本名という地名から本名家は来ています。ところが戦国時代に、葦名(あしな)氏に攻められて敗れ、人質として郡山に連れてこられた。そこで葦名氏に仕えて頭角を現しましたが、伊達政宗に敗れて、帰農したといいいます。そのあと医者として6代続いたあと、郡山市中町、今のうすい百貨店の向かい側にあった駐車場のところで旅籠屋(旅館)をしていました。

熊坂:柏屋さんのはじまりは旅館だったんですね。

本名:旅館があった通りは、奥州街道筋で会津街道へもつながる東西南北の要だった。その旅館の一角で饅頭を作り始めたのが評判になったと聞いています。そして仙台藩士、尾形乙次が旅館に婿入りした。兄が亡くなって一人で旅館を切り盛りしていた妹に一目ぼれして、刀を捨てて入り婿(結婚)した。それが初代本名善兵衛です。

熊坂:初代は情熱的な方だったのですね。

本名:初代が旅館から饅頭に特化し、饅頭屋として「柏屋善兵衛」を創業しました。黒船来航の一年前です。

熊坂:そこではじめに作ったのが薄皮饅頭だった。

本名:そうです。そのころ、東北では茶色の厚い皮であんこが少ないものが主流でした。初代は武士だったので、お殿様に献上する上用饅頭をヒントに最初につくったのが、白い薄い皮にこしあんの入った上品な饅頭だったようです。

熊坂:それは当時としては、相当高級なものだったでしょうね。

本名:東北では画期的な新商品だったと思います。ただちに評判となって、「郡山に行ったら薄皮饅頭」と広まったんです。戦後になり黒糖を入れて皮に風味をもたせ、今の薄皮饅頭になりました。

ロングセラー薄皮饅頭は、こしあんとつぶあんの2種類。開成柏屋では職人による出来たての手づくり饅頭も販売している。

社長就任後すぐにヒット商品を放てた理由

熊坂:社長を継がれたのはいつですか。

本名: 1986年です。その年、8.5水害(1986年8月4日から5日にかけて東海、関東、甲信、東北で発生した水害)がありました。関東では小貝川が氾濫しています。ここでは阿武隈川支流の逢瀬川の堤防が決壊してうちの工場が沈んでしまった。当時私は常務でした。なんとか工場を復旧し立ち直りつつあった水害の1カ月後、先代の社長だった父とその兄弟の副社長、専務に呼ばれて「俺たち辞めるから、お前社長やれ」と突然言われました。

熊坂:その時おいくつだったのですか。

本名:31です。

熊坂:31歳で社長になったんですか!早いですね。

本名:それからずっと、30年以上社長やっているんです(笑)。

熊坂:五代にわたって同族経営を続けて来られた本名家には家訓がおありと思いますが、どんなものがあるのですか。

本名:うちには短い家訓が200以上あるのですが、そのひとつに「代々初代」という家訓があります。一代、一代が初代の気持で経営に当たりなさい、という意味です。

熊坂:裏を返せば「先代は口を出すな」ということでしょうか。

本名:そうです。専務は根はやさしい人なのですが、仕事ではすごく怖い人で、私が社長になる前の日までいつも怒鳴られていました。ところが社長になってから急に誰からも怒られなくなった。「これは助かった、これで怒られないで済む」と最初は思いました。でも1週間ぐらいでこれはまずいな、と。

熊坂:それは逆に不安ですよね。

本名:全部自分で決めて全部自分で責任取れということだな、ということに気づきました。それまでは、社長がああ言ったから、専務がああ言ったからと人のせいにしていたところがあって。

熊坂:それが全部自己責任になるわけですね。

本名:そうです。これは、ある意味一番厳しい交代のやりかたなのだと。

熊坂:31歳でその責任は重かったでしょうね。

本名:社員のほうがもっと不安だったでしょうね「この若造、大丈夫かな」と(笑)。

熊坂:社長になってまず何をしたのですか。

本名:その当時柏屋はあまり業績がよくなかった。そこで会社の実像を見なおすことから始めました。そして最初に改良したのが「どら焼き」です。それまでも柏屋のどら焼きはあったのですが、全然売れなかった。こんなにあんこがたっぷり入ってサービスしているのに何で売れないのだろうと思っていました。

熊坂:なぜ売れなかったのですか。

本名:柏屋のどら焼きは、あんこをたっぷり使っていたのが自慢だったのですが、自分で食べてみたら食べきれなかったんです。そこでいろんなどら焼きを取り寄せて食べてみました。売れているどら焼きはあんこと皮とのバランスがいい。よし、うちでもっとおいしいどら焼きを作ってやれと思いました。

そのときのコンセプトが「最高の材料で、どら焼きの形をしたふわふわの小倉ホットケーキを50円で創る」でした。

熊坂:どら焼きを再定義したのですね。それにしても50円とはかなり手ごろな値段ですね。

本名:それまで1日100個の売り上げだったどら焼きでしたが、新どら焼きは人気が爆発して、最高で1日1万8千個を超えました。

その次に創ったのが「檸檬(れも)」でした。

売れる商品名のつけかた

熊坂:「檸檬」は本名社長が創ったのですか!あれが出たときのことをよく覚えていますが、大評判でしたよね。こんなに美味しいお菓子があるんだ、と家族で大ファンになりました。檸檬はどのようにして生まれたのですか。

発売以来26年間ベストセラーを続ける「檸檬」。

本名:当時、柏屋の商品はお土産であって、贈答に選ばれるギフトのイメージがあまりなかったんです。そこで薄皮饅頭などお土産を中心にした「風土菓(ふうどか)」と、ギフト用「彩時季(さいじき)」2つに分けて、お店も品揃え制服も別にしました。そのときに3年かけて創ったのが1991年誕生の「檸檬」です。

熊坂:本格的なレモンチーズタルトですよね。当時は珍しかった。

本名:個包装技術が進み「脱酸素剤」ができて2週間ぐらい日持ちするようになったことも、よいものを出せた理由です。商品名はあえて「レモンなんとか」という横文字にはしなかった。

熊坂:そう言えば、洋菓子なのに漢字2文字のネーミングですね。

本名:この商品は買う人と貰って食べる人の層が違うことに気がついたんです。じゃあ買う人は誰なのか、考えてみました。若い女子社員がいる得意先に喜ばれるだろうとギフトを持っていく人、会社の需要で使う人だろうと。それはおじさんたちなのではないかおじさんたちは、横文字の商品名は舌が噛みそうになるし、それは恥ずかしくて買いにくいだろうと思ったんです。

熊坂:たしかに、言いづらい名前の商品は買いにくいですね。

本名:そこで日本人が言いやすい名前を考えました。レモンを漢字にして「れもん」と読ませると「ん」がつくとお手つきになるので、2文字の「れも」にしたんです(笑)。

熊坂:ターゲットの気持ちになって考えた商品名だった。これは売れましたよね。

本名:爆発的に売れました。どら焼き(「かしわ焼き」も)「檸檬」もまずは実情を把握することから生まれたもので、今でもずっと売れ続けています。

熊坂:社長になってからいきなり革新的な商品を次々にお出しになっていますが、それに対してまわりの反対はなかったんですか。

本名:父からも専務からも一切口出しはなし。「代々初代」が徹底しているんです。

熊坂:社長に就任してから、どのぐらい売り上げが伸びたのですか。

本名:28億から震災前の時点で52億まで伸ばしました。

熊坂:倍ですね!それはすごい。でもやはり震災のときは落ち込んだのですね。

本名:震災直後はゼロになりました。ガソリンはないし、人もいないし、材料も入ってこなくなりましたから。少しずつ再開して、6年経ち、今は震災前の80%台まで回復しました。

熊坂:その2割はなかなか回復が難しいのでしょうか。

本名:店舗販売の伸びは順調なのですが、どうしてもお土産での需要が大きい薄皮饅頭に影響が出ました。薄皮饅頭は駅や高速道路など観光地の一番目立つ場所に置いてあります。ということは人の流れにものすごく左右される。ある意味、観光産業の一部なのです。残念ながら福島はまだ観光需要が完全には戻ってきていません。

主力商品が一気にV字回復したわけ

本名:ところがおととし(2015年)から売り出した薄皮饅頭の「新あずき」は、お客様に好評で一気にV字回復してきています。

熊坂:「新あずき」と大きく書かれたパッケージですね。あれ本当においしくて、私も周囲に配りました。新あずきはどんなきっかけで出したのですか。

本名:実は、今までも柏屋では毎年時期になると新あずきは使っていました。でもお菓子屋で当たり前のことだと思っていたので、特に謳ってはいなかったんです。
「新あずき」を思いついたきっかけは3年前に行った喜多方市山都の新そば祭りでした。いつもは静かな集落に大行列ができている。蕎麦を食べるために、30分から1時間並ばないといけない。それでもみんなが集まるのはなぜだろうと考えた。それで、日本人は新物好きということに気がついたんです。

熊坂:新そば、新米、新酒。たしかにそうですね。

本名:それまで小豆の新物について言っている人はあまりいなかった。新あずきの期間、北海道のお菓子屋でも一部の商品だけに使っていましたが、うちは、思い切って薄皮饅頭全てを新あずきに切り替えました。

熊坂:発売期間はいつですか。

本名:12月頭から2月末です。一般的に小豆の新物が市場に出るのが2月。でもあづきの収穫は10月なんです。

熊坂:あれ、ずいぶんタイムラグがありますね。

本名:そうなんです。毎年北海道に行っているのですが、なぜ、2月まで時間がかかるか疑問だった。そこでわかったのが、農協の倉庫に入ってから選別やグレード付けする「調整」は、市場の要望が高い作物から行われる。小豆はいちばん後回しになっていたんです。

熊坂:先に市場に回るのは、やはりジャガイモですか。

本名:そうですね。あとは大豆や、とうもろこし、ビーツなどですね。農協さんにお願いして、はじめはできないと断られましたけど、何とか11月末に出してくれることになった。

熊坂:それで12月の頭から新あずきの薄皮饅頭を発売できるようになったのですね。

本名:北海道の小豆は全国の生産量の90%を超えています。十勝産は約65%で、うちはその中でも味の良い「えりも」という品種にできるだけこだわっています。

熊坂:その味の良い小豆をフレッシュなうちに加工した。これは買いたいですよね。新あずきの薄皮饅頭で売上はどれぐらいアップしたのですか。

本名:その期間は薄皮饅頭が二桁で伸びてつくる方もびっくりしてしまった。材料の確保が大変でした。

熊坂:二桁ですか。それはすごい!

→次ページ「億単位の広告効果を生み出した『お伊勢さん菓子博』」

Mitsui Misako(満井みさ子)

ライター。郡山市育ち郡山市在住。女性の新しい働き方を応援する「スペシャリスト女子会」を毎月郡山市内で開催しています。

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